victorinox tinker

 初めて持ったのは10歳ごろの頃だろうか。父親の仕事について行って、手伝いのお駄賃としてもらったのが、機能が30ぐらいある一番分厚いモデルだった。向こうでは子供に早めにナイフに慣れさせる文化があるのだが、それでもちょっと認められた感じがして非常に誇らしかったのを覚えている。ボロボロ、本当にボロボロになるまで使った。

 自分で買い出したのは一人暮らしをしだした18ぐらいの時からかな。以来、ずっとこのTINKERというモデルである。基本的に2,3年使うと赤いパネルが外れるおようになり、その時が替え時だ。使い古したものが本当はもっとあったのだが、処分してしまった。持ち出して30年ぐらい経つ今、持っていないと気持ちが悪い。今では信じられないが、昔はもったまま飛行機に乗ったもんだ。

ちなみに黒いやつはFRAGMENTとのコラボで、spartanというモデルである。非常にいいバランスのモデルなんだけど、プラスドライバーがない。そこだけが欠点だ。

今年で9歳になる長男もVICTORINOXナイフデビューする。一番上の半透明モデルがそうで、このナイフを通じて色々と知ることになるだろう。力の使い方とか、責任とか。ナイフを持つことて感じてくれればと思う。

VANS SK8-HI

 フロリ時代にタケキがSOPHコラボモデルを買ったのが初めての認識だったと思う。もちろん存在は知っていたけど間近で見てそのクールさにやられた。二人で、どんな高価でレアで、かっこいいとされているスニーカーでも、隣に置いても負けないのはこのスケハイだよな、と話したのを覚えている。あれから数年後に再度コラボがあり、その時に初めてゲットした。それからレザーも買い、スエードも買い、REISSUE CAPも気に入っている。もったいなくてスケボーには履かない。

nike airmax 1

 僕が初めてこのシューズを認識したのはまだ向こうにいる頃で、スポーツショップのガラスケースの中にあった。おそらく10~11歳の頃。なぜか当時は「足の悪い人がリハビリのために履く靴」という認識があって(少なくとも僕の周りでは)ファッションの要素はなかったように思える。ティンカー・ハットフィールドのデザイン、ビジュアブルエア、アウトソールが4つのパーツに分かれていること等、色々と革命的なモデルではあるが、今思えば僕にはその「カラーリング」が全てだったと思う。一気に心を持っていかれたような、そんな感じがしたんだよね。スニーカーカッコいい・・、と心の中で静かに何かが芽吹いたたような、そんな感じあった。

 初めて履けたのは20代の前半かな。あれからも数度の復刻があり、今履いているのは3代目かな。無数のカラーリングがある今でのこのファーストのカラーリングが僕の中での一番であり、原点であり、頂点なのかも知れない。この後のAIRMAXシリーズではイエローのグラデを履いたりもしたが、やはりのこのairmax1のレッドに戻ってしまう自分がいる。今と思っては重いし、クッション性もないから履き心地も良くないし、汚れやすい一足ではあるが、その魅力は変わらない。

nike sfb 6

 sfbとはスペシャル・フィールド・ブーツの略であり、要は兵隊が履くブーツ、軍ものなのである。実はこのモデルはとんでもない優れもの。ソールがNIKE FREEソールのため履き心地が良く、防水性もあり、冬は暖かい。雪道を歩いても浸水せず、しかも軽い。デザイン的にも気に入っており、これがあるともうこれ以外のブーツが履けないぐらい、ある意味困った存在である。決定版なんだよね。とにかく寒くなり出したらこいつの出番。履き心地が良く、悪天候でも安心できるなんて最高である。

 今まではレザーのグリーン、キャンパス生地の茶と黒も履いてきた。定期的に出たりするものの、日本では人気がないようで2023年に復刻された際には、遂に日本では復刻されず。今履いている黒と茶ソールのモデルは日本での発売がなく、end.から買った。レザーが使われているからしっかりと税関税がかかった・・。

nike airmoc

 元々アウトドアなどで疲れた足を休めるためのシューズ。(キャンプベースで履く為だけに持っていくのか?荷物になるよね・・)とはいえ、僕は一切そういう使用はせず、一時期は毎日履いていた。というより、コレクションしていたこともあった。迷彩バージョン、メッシュバージョン、ブーツタイプのチャッカ。どのタイプも好きだったが、後から出たairmoc2とairmoc3はどうしても好きになれず。

 かなり人を選ぶタイプのシューズで、コッペパンと呼ばれるなど、どうしても許せない人もいるのも事実。履けば履くほど馴染んでくるところも良くて、汚れてきてもずっと履き続けてしまう所も困りものである

定番中の定番 My classic

 やっと?と言っていいのかどうか、どうも50を前にして自分の中での趣味が固まってきている。自分の中での定番、自分の中でのクラシックが定まってきているようだ。これは中年のおじさんが陥る「新しいものへの好奇心の欠如」「冒険心の欠如」ではなく、自分が評価しているものへの信頼であり、早い話、ずっと同じものを買ってしまうのである。

好みがはっきりしている僕にはその傾向は少なからずあったが、ここにきてより輪郭が濃くなってきた気がする。いいのか悪いのか、どっちでもあると思うんだけど、何もないよりは、とにかく愛するものがある!ということはいいことなのではないか?と思うのである。というわけで、記録する意味も含め、僕の中のクラックを書いていこうと思う。

久しぶりの集合。なんと、今度は11-12年前に受験のためにWEEDを離れた仲間が参加。キャプテンがfacebookで見つけたらしい。当時(11-12年前)は高校生でありながら大人の中に混じって普通に参加していたぐらいで、その中でも負けず嫌いな面をきちんと出していて、普通ではない経験をしているなあと思ったけど、どうも彼の人生の中でそれがプラスと働いたようで、嬉しい限りである。離れる時に皆で金を出し合って、当時ちょうど作っていたBONERAのシャツを贈ったんだよね。今回もわざわざそれを着用して来てくれて、10年間も取ってあったんだとこれまた嬉しかった。あの時の感謝の言葉までもらっちゃって、こっちとしてはなんだかむず痒かった。当時は年下だけどチームメイトだし、なんだったらライバルだし、普通に仲間なんだから感謝されることは一つもないんだけど、10年も経つと色んなことに意味が生まれ、なんというか、答え合わせが出来た気持ちである。当時の活動はある意味に置いては正しかったのだな、と。それにしても、10年ぶりに呼ばれて来る奴もそうだし、呼ぶ方もそうだし、普通に空気が戻るあの感じ?笑

あー夏休み

 夏休みの魔法が消えた気がする。そんな年齢になってしまったようだ。もちろん、未だに心待ちにしているのは変わらないし、楽しみではあるんだけど、昔ほどの爆発力?はない気がする。

 いくつかの責任を果たし、数個の自分のやりたいことを片づければもう終わり、ってのは昔と同じ。普段いけない親族関係のタスクをこなし、自分で行きたい所を2-3か所周れたらいいほうで、すぐに夏季休暇は終わってしまう。昔は「やっぱり時間が足りない!全然足りない!」と心の奥底から雄たけびを上げていたけど、最近では「まあこんなもんか」とやや満足している自分に気づく。いや、満足しているわけではなく、「人間、満足することはない」ってことを知ってしまったのだろう。同じようで、意味は全く違う。

Tシャツの世界

 

Tシャツを作っている。Tシャツってそれこそ、900円~50,000円、いや、それ以上に高いものもあるんだろうけど、だいたい同じようなものなんだけど決定的に違くて、とにかく好きなのである。価格が高い物と安い物が並列に並んでいるのが面白くて、ブランドものだからって意味もなく高いものがあるかと思えば、ペラッペラのノーブランドなんだけどプリントがカッコイイものもあって、その「価値観のカオス」みたいな所が面白い。

 中国の通販サイトで、パチモノのTシャツを売っているところがあって、それを見るのが面白い。偽物というか、勝手に映画やアニメやそのたのエンタメ系のものを無許可で使っている非公式なものなんだけど、公式に作られているものなんかよりもよっぽど愛が感じられるものが時々あったりする。こいつ、分かってるな!僕と同じ趣味か!もしかして同じ世代?なんて事が透けて見えるのである。もちろん買ってはダメだし、それこそペラペラの、一度乾燥機にかけたらそれだけでご臨終となるようなクオリティだと思うけど、気持ちが籠っている気がして惹かれてしまうのである。

といわけで、今年もノブクリで得た気づき「be neutral」でシャツを作ってみました。気に入っていて、ほぼ毎日自分でデザインしたTシャツで過ごしている。自分でデザインしたものを着る、これも贅沢だな。

be neutral

砂と太陽

すごーく前にも書いたと思うけど、サザンの曲の歌詞に

「砂混じりの茅ヶ崎・・・」

というのがあって、海が持つ不快感をすごく上手く表現しているなあ、と思うぐらいに海が苦手である。もちろん、泳げないこともマリンスポーツに興味がわかない要因でもあったと思う。だが、そんな僕が今ではサーフィンを楽しんでいる。きっかけは長男の親友一家に誘われたこと。もちろん最後まで抵抗したし、海の中で何かを踏んで、足裏に感じたことのない感触を味わったときや、車のマットの上に砂が落ちているところを見てしまうと、

「だから海って嫌なんだよ!」

と思う。それ以外にも、ありえない角度から海水に打ち付けられ、その際に鼻から海水が入ってきたり、腕がパンパンに疲れもう上がらなくなったり、海藻なのか分からないものが足に絡みついたりと、マイナスポイントもたくさんあるんだけど、フットサルが出来なくなるような怪我に繋がるものはなさそうだし(死ぬ可能性はあるけど。泳げないし)水の上をすべる感覚は気持ちいいのだ。

太陽が落ち始める夕方ごろ、疲れはててプカプカとボードで浮きながら、体力的に最後の一本かななんて思いながら空を見上げると、燃えるような赤とオレンジの間を白い雲が流れていて、それを青が包んでいる。モネでもシスレーでも、それこそ新海誠でも描けない風景がそこにある。砂浜に目を向けると子供たちが楽しそうに遊んでいる。一瞬、ここは本当に千葉か?現世か?と思ったりする。そういう瞬間があるんだよね。ジャリジャリは嫌だけど。