あー夏休み

 夏休みの魔法が消えた気がする。そんな年齢になってしまったようだ。もちろん、未だに心待ちにしているのは変わらないし、楽しみではあるんだけど、昔ほどの爆発力?はない気がする。

 いくつかの責任を果たし、数個の自分のやりたいことを片づければもう終わり、ってのは昔と同じ。普段いけない親族関係のタスクをこなし、自分で行きたい所を2-3か所周れたらいいほうで、すぐに夏季休暇は終わってしまう。昔は「やっぱり時間が足りない!全然足りない!」と心の奥底から雄たけびを上げていたけど、最近では「まあこんなもんか」とやや満足している自分に気づく。いや、満足しているわけではなく、「人間、満足することはない」ってことを知ってしまったのだろう。同じようで、意味は全く違う。

Tシャツの世界

 

Tシャツを作っている。Tシャツってそれこそ、900円~50,000円、いや、それ以上に高いものもあるんだろうけど、だいたい同じようなものなんだけど決定的に違くて、とにかく好きなのである。価格が高い物と安い物が並列に並んでいるのが面白くて、ブランドものだからって意味もなく高いものがあるかと思えば、ペラッペラのノーブランドなんだけどプリントがカッコイイものもあって、その「価値観のカオス」みたいな所が面白い。

 中国の通販サイトで、パチモノのTシャツを売っているところがあって、それを見るのが面白い。偽物というか、勝手に映画やアニメやそのたのエンタメ系のものを無許可で使っている非公式なものなんだけど、公式に作られているものなんかよりもよっぽど愛が感じられるものが時々あったりする。こいつ、分かってるな!僕と同じ趣味か!もしかして同じ世代?なんて事が透けて見えるのである。もちろん買ってはダメだし、それこそペラペラの、一度乾燥機にかけたらそれだけでご臨終となるようなクオリティだと思うけど、気持ちが籠っている気がして惹かれてしまうのである。

といわけで、今年もノブクリで得た気づき「be neutral」でシャツを作ってみました。気に入っていて、ほぼ毎日自分でデザインしたTシャツで過ごしている。自分でデザインしたものを着る、これも贅沢だな。

be neutral

砂と太陽

すごーく前にも書いたと思うけど、サザンの曲の歌詞に

「砂混じりの茅ヶ崎・・・」

というのがあって、海が持つ不快感をすごく上手く表現しているなあ、と思うぐらいに海が苦手である。もちろん、泳げないこともマリンスポーツに興味がわかない要因でもあったと思う。だが、そんな僕が今ではサーフィンを楽しんでいる。きっかけは長男の親友一家に誘われたこと。もちろん最後まで抵抗したし、海の中で何かを踏んで、足裏に感じたことのない感触を味わったときや、車のマットの上に砂が落ちているところを見てしまうと、

「だから海って嫌なんだよ!」

と思う。それ以外にも、ありえない角度から海水に打ち付けられ、その際に鼻から海水が入ってきたり、腕がパンパンに疲れもう上がらなくなったり、海藻なのか分からないものが足に絡みついたりと、マイナスポイントもたくさんあるんだけど、フットサルが出来なくなるような怪我に繋がるものはなさそうだし(死ぬ可能性はあるけど。泳げないし)水の上をすべる感覚は気持ちいいのだ。

太陽が落ち始める夕方ごろ、疲れはててプカプカとボードで浮きながら、体力的に最後の一本かななんて思いながら空を見上げると、燃えるような赤とオレンジの間を白い雲が流れていて、それを青が包んでいる。モネでもシスレーでも、それこそ新海誠でも描けない風景がそこにある。砂浜に目を向けると子供たちが楽しそうに遊んでいる。一瞬、ここは本当に千葉か?現世か?と思ったりする。そういう瞬間があるんだよね。ジャリジャリは嫌だけど。

成長

 我が家の二匹は相変わらずに成長を続け、上は8歳、下は3歳となっている。次から次へと降り注いでくる生活の課題を慌ただしくこなしているうちに時間が過ぎ、いつの間にかここまで来ている。コロナウイルスにも、現代社会での戦争にも子供の成長を止めることはできない。確かに色々な我慢やかつては必要ではなかった手順や対策も必要だけど、それでも彼らの夏は暑く、空は青い。少し変わったかも知れないけど僕らも子供時代に過ごしたであろう日常は確かにあり、そこにちょっとした安心感や有難みを感じている。今思うのはその日常を守っていたのは両親や周りの社会であったこと、そしてその順番がこっちに回ってきたってことか。

 で、それとは逆にある思いが僕の中で育ってきていて、それは「本当に子供中心でいいのか?」という考えである。もちろん親として、大人しての責任を背負っているのは当然なのだが、子供中心に生活を回すことが本当に健康的なのか?と時々、ふと頭をよぎるんだよね。現在では「子供のため」「子供に経験させるため」という判断基準があり、周りもそうだから僕も全く疑いなく過ごしてきたけど、自分の子供の頃の記憶を振り返ると、両親の行動に付き合わされた際にのぞき見た世界が楽しかった覚えがあるんだよね・・・。まあ、恐らくこれは長男の成長に伴う疑問で、いつまで子供を子供扱いするのか、という不安の表れだと思う。子供扱いの方が可能性を狭めているんじゃないか、というちょっとした思いなんだよね。まあ、ここら辺は状況や環境によって変わるだろうし、僕自身の価値観も定まっておらず・・・、そもそも定めることも良くないのでは?とあれこれと考えたりするのであーる。

近況

最後に何を投稿したのか覚えていないのだが、久しぶりに覗いてみた所、なんだかやる気が出てきたので「投稿を再開してみたりしようかなあ」と思ったこの一瞬を逃さないために書き溜めようと思う。書かない間におそらく

・長男の小学校入学

・泳げないのにサーフィンを始める

・一家でコロナに感染

・ノブクリの発足(シャツを作ったり)

・かかと痛に苦しむ

などがあって、それぞれに書くことはあるのだが面倒なので、いつも通りに思いついたことを書いていこうかな。時間が取れないのは同じだし、生活に追われているのも同じだが、時折過去の記事を読んだりしていると当時の自分の考え方や表現方法、あり方をまた取り戻したいな、と思ったりする。というわけで、再開!かな?