この前の第二形態紛失事件で先生が泣くのを見て、ちょっと安心したところもある。先生がいつの間に自分以外の誰か(何か)の気持ちを想像できるようになっていたことに、である。僕はこの部分がとても大切だと思っていて、この「人の気持ちを想像できるかどうか」が人間としてのなんたるかを分けると思っているんだよね。簡単にいうと「想像力」とか、「優しさ」と表現できるのかも知れない。何度か書いたけど優しさはもって生まれるものではなく、後から獲得していくもの。自分が痛い目にあったときはもちろん、誰かが転んだのを見たときに、「かわいそうだな、痛そうだな」と思うことで、人は優しさを覚えていく。先生もここまで来たか、と。まあ、この先本人の中でどんな変化があり、今回の経験が何に繋がるか分からないけど時々こういう、成長を確認できる場面があるといいな、と思ったりする。
夜ラン
最近また夜ランニングを再開している。昨日で三日連続で5キロを走って、今日が休息日である。休息日だから久しぶりに書いている訳である(笑)。今もかなり気まぐれな頻度になっているこのブログですが、このまま少しずつフェードアウトしていこうかと・・笑。
こんな真冬に走るのも久しぶりで、こんなに寒いのか!と一瞬思ったけど、年末に体験した八ヶ岳のマイナス5-6度に比べれば命の危険は感じられず、変な話余裕である。それどころか、体が温まってくれば空気に透明感、軽さみたいなものが感じられて気持ちがよかったりする。これが夏だったら空気が重くて重くて仕方がないから冬のランニングはおすすめかもしれない。気持ち的には億劫な日ももちろんあるけど、5-6年後の体を今作っていると思えば何となく頑張れるものである。
あけましておめでとうございます
シン・ゴジラを観てから先生の中で空前のゴジラブームが来ている。偶然日比谷のゴジラ像を見てしまったこともあり、本人の中で非常に盛り上がっている様子。ソフビも購入、昨日は蒲田で行われているゴジラ店展を見てきた。こじんまりとはしていたが、なかなか迫力のあるものも多く、子供的にも僕的にも楽しかった。展示物を見ながら独り言をずっと繰り返しているあっち系な人もいて、ゴジラのファンは濃いなあ、やはり。いくら展示が面白くても、ああいう展示会の一番の盛り上がりは出口のショップであることは間違いない。もちろん、こっちも人が大勢集まり、グッズを吟味していた。この展示会で面白かったのは大人と子供がみんなまざって同じものを見ている所。大人が「これはあの85年の映画のあの場面で右から映っているアレかなあ」なんて言っている所を、隣の子供が「ゴジラカッコいい!」叫んでいるところが他とちがうところかな。
帰りには見事に箱根駅伝の渋滞にはまり、隣を選手たちが走りすぎていく姿も見れて楽しかったかな。

あっという間に
今年出来ていなかった墓参りを30日に慣行、そのまま八ヶ岳まで足を延ばし一泊、今帰ってきた所である。休みに入ってからもスピード感は変わらないもので、もう少しで新しい一年が始まる。この一年はどんな一年だったのかの反省、来年へんの抱負も立てたい所だが、すべてが一つの流れのに混ざっており、しかも同時進行だから区切りをつけるのが難しい。もしかしたら、区切りというものを感じにくい年代に入っているのじゃないか、と思う。次から次へと来るものを何とか回している間に過ぎていく僕のこの「現在」こそ多くの先輩方がいう「あっという間」の時間なんじゃないかと。
おそらく来年も今年と同じように、場合によってはより大変な時間が流れることになるかもしれないけど、皆それぞれの場で、それぞれの時間で、自分にできる事をやっていただければと思います。ここに来て時間は平等に流れているものではなく、誰かがどこかで回しているものなんじゃないか?という気がしている。そして時々、本当に時々だけどその順番が自分に回ってくることがあるんじゃないか、と思うんだよね。気づかずに。朝は自分でやってこない。誰かが送ってくれるもので、時々は自分も手伝う必要があるのだ。多分。多分ね。皆良いお年を!
疾走
クリスマスにパパノエルから自転車をもらった先生はすっかり運転が上手くなり、どんどん乗りたい気分。さすに公道は怖いから、この日は海の方を走ってみた。海沿いをずっと続く道は走っていて気持ちがいいのだが、この日はさすがに寒く、風も強かった。先生は風に負けじと鼻水を垂らしながら疾走していた。終わった頃には、今年の花火大会は自分で自転車に乗っていく、と言い放つ始末。さすがにそれはまだ早いけど、成長は早いなあ、と。
それにしても最近はレンタル自転車があちこちで普及していて便利である。この人も30分80円かな?の自転車を借りて一緒に走ることができた。空気の入りが微妙だけど、楽しかった。
午後の紅茶
午後の紅茶のCMシリーズが終わってしまうらしい。田舎の駅で女の子が目を閉じて歌う、あのCMである。何を隠そう僕はこのCMが好きなのである。シリーズになっていることは知っていて、季節ごとに新しいのが出るのを楽しみにしていたけど、今回ので最後のようだ。このCMのメインはもちろん、歌っている上白石萌歌の声。おそらく僕はその声にやられたのだと思う笑。
この女の子には妹か姉がかがいて、二人とも素敵な声をしていて歌もうまい。このCMで歌っているのは姉なのか妹なのかしらないけど、とにかくその声があのCMの青春の刹那にとてもあっていて、心に来るんだよね。僕と同じように感じている人もいるみたいで、youtubeにまとめの動画もあった。見ているとついついウルっと来てしまうよ、これ・・。声ってやっぱり大事だよね。
CG再現
スプレー缶の事件のニュース。時点の顛末そのものがかなりアレで理解に苦しむ所もあるんだけど、被害者がいることを考えるとどうも笑えないのも事実。ただ、各ニュース番組がCGで再現をしている映像がすごいというか、想像力が溢れているというか、かなり面白いんだよね。再現をすることでニュースを分かりやすく伝えようとする気持ちは分かるのだが、これではちがう情報というか、本質とは違う何かが気になりだして逆効果な気もする。CGでなんでも出来るこの時代に、いくら時間がなくて急ごしらえのものでももうちょっとどうにかなると思うんだけどなあ・・。

選別
無人店舗のニュースの中で、店舗への出入りがいつか顔認証と繋がって、出入りにカードとか入校証の提示が必要ない時代が来る、というのがあった。というか、すでそういう所がたくさんあるらしい。その人の顔がその人の銀行口座の残高と繋がっていて、店を出るのと共にチャリチャリンと残高から引かれる、というシステムである。そこまで管理されるのは嫌だけど、レジ待ちという不毛な時間が無くなるのであれば便利だな、と思ったりする。でも、これってよく考えれば「こいつの残高ではうちの店は無理」と入店を断られる、そもそも店に入れてもらえない可能性もあるわけで、もはや格差とも呼べないより大きな選別が行われるのかもしれない。一見よさそうで便利そうな未来だけど、やっぱり金次第という所が悲しい・・・。
iPhoneの罪
そういえば昔の携帯電話には電池パックというものがあった。後ろの方に蓋がついていて、そこを開けると電池を取り外すことが出来た。電池を変えるという概念があって、そこには「その端末をずっと使う」という価値観が含まれていた。それが変わったのはiPhoneの登場時で、その瞬間に携帯電話は半永久的に使うものではなく定期的に買い替えるものになり、そしてアップル様にずっとお金を払います、という事になった。携帯はずっと使えないけど金はずっと払う、という構造がその時に出来てしまったのである・・。価値観というか常識が反転したあの瞬間って罪深いなあ、と思う。今ではスマートフォンは「iPhone」か「iPhoneに似ている何か」の二択ぐらいしかなくて、本当につまらないなあ、と思う。シンプルなあの形は工業製品としての最終到達点、みたいな評価もあったけど、今となってはどうなるのだろう・・。そろそろ大きな辺が起きてほしい。
タブレット戦争
この前のセールでアマゾンのタブレット Fire HDを買ったんだけど、これが大当たりで大満足である。iPhoneユーザーとしてはiPadになるのかなあ、と調べていたら値段が全然違うのね。Fire HDだったら1万円弱だから、例えハズレでも子供にあげればいいかと思っていたんだけど、画面も綺麗、操作性もサクサク、さらにプライム会員であればさらに使える特典が多く、非常に大満足である。これがこの値段だから、iPadはどこがすごいんだ?という感じである。appleブランドもいいけど、これだけの値段の差があると、そろそろappleじゃないものもアリなのかも知れない・・。
この前の機種変の時に久々にiPhoneの定価を認識してびっくりした。これだけ普及すれば端末の値段も安くなっていくのかなあ、なんて思ってたけどそんなことは全くなく、バッチリ高くなっている。高機能だからこの値段当然、appleだからこの値段当然、という時代もそろそろ終わりか?がんばれ他のメーカー!




