嬉しい報告

 この2週間で嬉しい報告が続いている。メンバーの一人に子供が無事生まれ、今週に入ってからキャプテンの結婚発表もあった。共にこれ以上ない最高のニュースである。まあ、端からみれば普通のニュースなんだろうけど、長い時間を共にした僕らからすればこれは特別な知らせで、逆をいうとこれを特別に思える時間を僕らは重ねてきたのだな、ということである。そりゃあいい時間だけだったら簡単なことだろうけど、苦しいことも嫌なことも、喧嘩やもめごとも含めた時間だからね。意味のあるものであることは間違いない。誰かの人生の節目に立つことはそうそうないことを考えると、なんとも意味深く感じられる。自分の好きな人が周りから愛されていることを知る時ほどの幸福はない。そういう存在が増えていく。最高だ。

  まさかなあ、僕自身が結婚し、さらに子供が生まれ、その子供がメンバーに遊んでもらういうことも想像しなかったけど、今度は後輩の結婚、子供の誕生である。想像もしていない事が実現可能ってことだから、おっさんだからけの僕ら蹴っている隣で、子供たちだけ遊んでいる未来が来るかもしれない。想像を超えるって、普通にあるんだな。

不良品

 マツモトヒトシの不良品発言が思ったより盛り上がっている。あれでヒトラーを連想させるようでは、もうこの世の中もいよいよお終いだなと思うんだけど、完全にその気持ちがわからないわけでもない、というところも正直ある。どう考えてもコイツはないな、内側を除いていも善の部分がないんじゃないか?と思わされるニュースが多い。多いからそう思いがちだけど、おそらくそうではなく、誰にもそうなる可能性があるんじゃないか?といつも思うんだよね。誰もが普通ではなく、みんな異常で程度の差しかない、と思うのである。だから、1万人に1人とか、10万人に1人、とかではなく全員が全員気を付けないと向こう側に落ちる可能性がある、ということだと思うんだよね。逆に「俺は絶対に不良品じゃないし、事件を起こす人間とは違う」と思ってしまっている人の方が危ないんじゃないか、と思うんだよね・・。そりゃ包丁を持って並んでいる人たちの列に飛び込むのにはかなりの何かが欠落してなければできないことだけど・・。

連休は

 連休は家に新生児がいることもあり、連休は僕と先生で細かく出かけることが多かった。相変わらずのマーベル熱が続いており、トイサピエンスやアベンジャーズの展示が行われているバーニーズニューヨークに出かけたりしたかな。また、実家や義理の両親に預けて蹴ることもできた。4日ぐらい連続で蹴り、後半は体がガタガタだったけど、この機会に蹴っておかないといつ蹴れるやらで、頑張ってしまった。

 働き始めてからは初めてだし、この先もこれだけ長い休みはあるのだろうか。個人的には全然楽しめたけど、たまっているのかも知れない、管理しきれない所で何かが起きているかも知れない仕事を思うとちょっとした不安もあったのも事実。日本人は休むのが下手なんて卑下しがちだけど、別にそれでいいんじゃないか?

15

 先日の対抗戦の後、@15から送りものを頂きました。あいつに気を使ってもらうなんて非常に嬉しかったんだけど、終わってからの先生の着替えや荷物のまとめやらを全部していたら、せっかくの贈り物を忘れて本人から「忘れているよ~」と電話を頂くという・・・、人としてどうかという行いをしてしまいました。今度殴られてこようと思う・・・。

 あいつとの付き合いはチームと同じぐらいの長さになってきている。エピソードはたくさんあって、泣きながら抱き合ったこととか、退団した次の日の練習にすでに参加していたとか、僕がショウゴにパピコの一本をあげようとしたら、

「いや俺いらないっすよ」

と冷たく返されたらあいつが、

「先輩がくれるって言ってんだからもらえよ!」

と言ってくれ、妙に上下関係に厳しいとかたくさんあるんだけど、どれにも共通しているのはな「周りから愛されている」ってところかな。あいつの事を悪く言うやつはいないし、いつもこのチームの輪みたいなものを支えてくれた一人である。たまあにいるんだけど、輪の中にいて、その輪を保たせているというか、その輪の繋がりみたいなものを自然と維持させるやつっているんだよね。特別な何かをしたとかじゃないし、意識して能動的に行動をしていることもないんだけど、自然とそれが出来るんだよね。だからと言って「いつもありがとう!」!と感謝するわけでもなく、選手としての評価があがる訳でもない笑。いつもと同じようにそこにいて、いつも一緒に蹴るのが楽しい、そんな奴だ。ありがとう。

ノートルダム聖堂

 ニュースのインタビューに応じ、カメラの前で泣き崩れるフランス人ほどではないにしろ、人類が長い間守り続けたものが焼け崩れるのはなんとも悲しい風景である。なんで石なのにそんなに燃えるの?という人が多いけど、「ノートルダムの鐘」かダヴィンチ・コードの歴史的建造物の屋根裏に入るシーンなどを見れば、木でできていることは分かると思うんだけど、あの木こそ13世紀のものだったりするわけけで、言ってしまえば木の方が貴重なんだよね。

 フランスに行ったときには、中にこそ入ってはいないが、外から見たノートルダム大聖堂はそれこそ威風堂々としたたたずまいで、フランスに歴史的建造物はたくさんあれど私は他とは違う、という感じであった。これがディズニーの世界だったら、カジモドの活躍と自己犠牲で建物が守られる話になるんだろうけど、現実はなんともやるせないものだ。

 ノートルダム大聖堂はたしかパリの中心とされていて、ノートルダム大聖堂を中心に距離が図られたりするはず。それだけフランス人にとっては大事なものなんだよね。

my last day

この度引っ越しをしネット難民になっていたこともあり、全く更新できませんでした。数度アクセスしてくれた物好きがいたら申し訳ない。

報告から入りますが、この度WEEDを去り、競技から降りる事にしました。40を過ぎてからの衰えに対応できず、足を引っ張るばかりでした。本当は1シーズン前に辞めるつもりでいたのですが、ついつい楽しいこともあり、後輩たちに甘えてしまい続けてしまいました。感謝です。そういうこともあり悔いがないわけでありませんが、はっきりとした満足感もあります。振り返ってみれば2002年に初めてボールを蹴ってから今日までいい思い出ばかりで、これ以上を何かを望むなんて欲張りすぎだろう。師、先輩、後輩、敵に恵まれました。フットサルに打ち込んだこの時間の中で得たものを思えば、僕は幸運な男に間違いありません。残念に思うことがあるとすれば、それは公式戦のあの雰囲気や緊張感、痺れるような場面で感じる仲間との連帯感、自分の最大限を発揮しようとするあの瞬間瞬間を味わえなくなることかな、なんて思っています。まあ、本当はたくさんあるのですがそれは僕の心のことであって、人様に読んでもらうことでもありません。

このブログがスタートしたのもフロリのスタートと一緒でした。あくまでも内輪の話ばかりであり、なるべく広まらないようにSEOも設定せず、検索に引っ掛からないように個人名はカタカナ表記にしてきました。書いているのも僕、デザインしているのも僕、かなり個人的なものではありましたが、読むのはチームメイトと小さな範囲での周りの人たちが前提でした。あくまでもチーム活動あってのものだったので、このブログもここで終了となります。ログは暫く残しますが、そのうち削除しようと思います。時々読み返すこともあって、当時の気持ちや空気を思い出すことがあって楽しかったりしますが、意味もなくずっと残すのも変な感じもします。

いつかこういう瞬間が来るだろうなあ、と大きな怪我をした時によく想像してました。自分自身に諦めを許す時が、もしくは身体的にプレイ出来なくなる時が。本当の終わりはずっとずっと苦しくて、実にあっけなかったです。ありがとうございました。次はインスタだ!笑

上手くいかないもので

 昨日の試合は敗戦の上、試合前の練習で味方を蹴ってしまい、すね当てをしていないのに、すね当てをしているかのようにスネが腫れあがっている僕です。まあ、必死にやっても上手くいかない時はあるもので本当に悔しく情けないのだが、こういう時の振る舞いや姿勢で今後の展開が変わっていくのも知っている。頑張らねば、走らねば。
 なんて考えていたら、水泳の池江選手のニュースが飛び込んできて非常にびっくりである。こういう事ってあるのか・・と。神様はなんとも残酷というか厳しいというか。たしかに色んな才能を与え彼女を特別な存在にしたが、奪う時はこんなに持っていくのか?という感じである。東京オリンピックの顔だし、日本のエースだし、世界的な顔なんだけど、18歳の女の子なんだよね・・。それを考えるとテメーのスネなんてなんとも軽いものに思える。その若さで白血病か・・。東京がダメでも次があるよ!なんて多くの人が思うだろうけど、もう「今」しかないんだよね・・。18歳だったらなおさら。やるせない。

感受性の行方

 このブログを書くにあたって「書きたい気持ちになったら書く」というスタンスに変えてからどうにも不定期になっていって、その内書きたい気持ちが徐々になくなっていっていつか辞められるかな、なんて思っていたんだけど、どうもこの気持ちがあったりなかったり、上がったり下がったりと不安定ではあるがゼロになることはない、という感じなので困っている笑。前にも書いたけど映画を見たり、本が読みたくなったりするバイオリズムの波があって、そのリズムで生活が変わることがあるんだけど、それと同じことのようだ。
 今僕の心に響いているのはこの動画で、見ているとどうにも涙が流れてきそうで、必死に我慢している。社会人だし、いい大人だし、さすがに感情の向こう側に落ちることはないけど、何もかも忘れて落ちてみたいな、なんて思ったりする。

何がって言われると良く分からないんだけどね。どっちの熱心なファンでもないし、歌詞がいいというわけでもないし、あんな大勢の人の心を動かしていると思うとか、ただ単純にカッコイイな、と。

インフル

 二年連続でインフルにかかってしまった。ランニングを始めていい感じに体力が戻ってきた頃だったのに、いきなりの発熱・・。一気に熱があがったからこれは!と思ったら案の定。しっかりA型を宣告されました。こういうことって結構あるんだよね。体をいじめよう、というサイクルに入るその時に風邪をひいたり、体調を崩したり。体はいずれ治るのだがもちろん、心の方も再起動させないといけなくて、こっちがかなり大変。まあ、また頑張りますか。
 今回は診断されたその瞬間にある紙を渡された。そこには、自分の症状に当てはまる「社会復帰していい日」が書いてあった。熱が下がったから丸三日おいて、それから、というのが基準みたいなんだけど、自分の症状が治まったら外出をする人がたくさんいて、それが感染の拡大になるのだそうだ。確かにそうだし、出ちゃう方の気持ちもわかるんだけど、これだけ拡大感染することを防げないってことがそもそもの問題なのかなあ、なんて思ったりする。映画で見るパンデミック→ゾンビの世界もあながち夢話でもないのか、と。 

ノブレス・オブリージュ

 向こうには「ノブレス・オブリージュ」という言葉がって、「高貴さは(義務を)強制する」という意味である。財産、権力、社会的地位を持っているものは責任がある、ということで要は金持ちは世の中のために働け・動けよ、ということなんだよね。貧乏人を助けたり、戦争になったら我先に出向いたり、とか時代によって色々と違う。たしかイギリスの王子(ダイアナの子供)は自分からアフガニスタン行っているし、去年なくなったマケインは自分が戦争で捕虜になって障害を負ったのに、ちゃんと息子を戦争に行かせているんだよね。一家の名誉を守るというか、自分の高潔さや品格を示すのにそういう自己犠牲が必要なんだよね。
 ゾゾの社長がお金をバラまいた例の事件で、色んな世代から色んな意見が出てちょっと面白かった。「下品」とか「面白い」とか、人によってかなりの温度差があったけど、一番面白かったのは「世代によって価値観が決まるわけではない」というところ。若い人の間で案外批判もあったようで、やはり個人差があるな、と。Twitterをやっている若い人たちは飛びついて、良く理解できない年配の人は嫌な顔をする、という反応にあるのかなと思ったらそうでもなかった。僕はこれも一種のノブレス・オブリージュかなあ、と思ったけど、気品があるようには思えないしなあ、と思ってしまった。お金で遊ぶのはどうも・・、と割と古風な考え方をしている自分に気づいた。