ワシントンに行ったときに、見ようと思っていたけど結局叶わなかったのが、エノラ・ゲイを見ることだった。スミソニアンからちょっと離れたところにあるので、ついに見れなかったんだよね。エノラ・ゲイを見たときの自分のリアクションがどんなものなんだろう、とちょっと楽しみだったのだが、分からずじまいで帰ってきてしまった。ひょっとしたら心の中で特別な感情が生まれるんじゃないか、と思ったんだけどね。それでも、戦争に関する展示物はふんだんにあり、アメリカ側から見た戦争のなんたるかをちょっとは感じることが出来た。
広島を訪れた時には原爆資料館を見学した。リトル・ボーイの展示や有名な黒い雨など、あの日に起きたことの一部を知ることが出来た。フランスに行ったときも戦争博物館を見学した。
毎年この日になると、これらの展示のことを思い出し、その時撮った古い写真を眺めてしまう。その度に思うのは、戦争の悲惨さを感じるのは難しいな、ということである。いや、ちょっと違うかな。「戦争の悲惨さを通して平和の大事さを伝えること」の難しさ、と言った方がいいのかも知れない。それってあってるのか?と思ってしまうのである。戦争の悲惨さを知らない現代ではそれを感じることは難しく、同時に平和の大事さも感じることが出来ない、って事になってしまうんだよね。この時期になると「平和への誓い」とか「平和への祈り」という言葉が飛びかうけど、言葉が多くなればなるほど空虚な何かが広がる気がして、なんだか複雑である。平和とはなんなのか・・、平和を知るとは何なのか、平和を守るとは何なのか。難しい。







野火っていう映画がすごそうだよ。
この映画観るとほんっきで戦争嫌になるらしい。
監督のあつさもすごいから、公式サイトみてみてー。